2007年1月 5日 (金)

天然の見方

今日は実験の合間に「受容体」に関する勉強をした。

情報伝達物質をキャッチしてシグナルを発するタンパク質なのだが、

代謝学やら生理学に携わっておきながら、一般的なことについては全くと言って良いほど特に勉強しなかった。

恥ずかしい話である。

前から勉強しようと思っていたのだけど、ちゃんと気合いをいれないと混乱してしまいそうなくらい

受容体の分野は様々な情報に溢れている。

RasだのRhoだのPLAだのGαだのローマ字の略記が氾濫している文章や

それらの間を繋ぐようなシグナル伝達の表記として四方八方に描かれた矢印を見ると

何だかふわふわと目眩がしてくる。

理科離れしてしまいそうになる。

けど少し我慢して勉強すると、

受容体やその周辺のタンパク質や因子が綿密かつシステマティックに役割分担され

それらの動きはとてもダイナミックであることが分かる。

これらが小さな細胞の中や外で起こっていると思うと、

生命という現象が如何に繊細かつ大胆な諸現象のカスケードによって支えられているかが分かる。

やはり生命は神様が設計したのではないかと思えてしまう。

しかしその一方で違和感も憶えた。

近年は分子生物学的および遺伝子工学的手法が発展して

遺伝子からの網羅的な諸タンパク質の発見が当たり前となっている。

受容体も例外ではなく、中には受容体の遺伝子であることには間違いないけれど、

役割も分からなければ、受容体に結合するリガンドもわからないオーファン受容体なるものもあるという。

そしてそんな得体も知れない受容体を分類する作業も進んでいたりして、

もうここまでくると一体なんなんだ、という気がしてくる。

そんな遺伝子上にあるだけで、正体の分からない(もしかしたら発現すらしていない)ようなモノに注目することに

なんの意味があろうか

というのは言い過ぎだが、しかし僕は比較的泥臭い実験をずっとやってきたので

そういうゴーストみたいなモノには魅力を感じないし、不気味さすら憶えます。

学生時代はとあるタンパク質の構造変化および構造と機能の相関関係に関した研究をしており

種々の測定手段を用いて構造や諸々の特性の変化を調べてきた。

そこには確かに目に見えぬタンパク質のダイナミックな変化が感じ取れたもので、

またその肌で感じられそうな変化を追う姿勢は、テーマが変わった現在でも忘れないでいようと心に留めている。

遺伝子の動きを見て、生体の変化を追うことが現在の手段なのだが、

僕は遺伝子の動きには信用するに足る情報は少ないという考えなので、

なるべく酵素や受容体の動きの方を大切にしている。

タンパク質の仕事は体力的にとても大変で泥臭い場合が多いのだけれど、生命に「直結」しているので大事だ。

遺伝子は設計図であり、遺伝子が動くということは、収納された設計図を手に取ったか否かという話であって

設計図を元にタンパク質を作ったかは不明なのだ。

ドブさらいの果てに天然を視るうことは叶うのだと思う。

僕はまだまだそんな境地には全然達していないけど、そんな気がする。

自然は甘くない。

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